小学生の時にサッカーの試合に負けた

小学校のとき6年間サッカーをやっていて、ある日、試合に負けた。泣けなかった。ちっとも悔しくなんかはなかったのだ。それは、相手への尊敬だった。

試合後、チームメイトとコーチと土手の上なんかで円を作って反省会をやっている。一番生意気だった男の子は、悔し涙を流していたかもしれない。チームの"みんな"が下を向いたり、悲しむことに力を注ごうとしていた。一人ずつ意見を求められて、立派に「悔しい」だとか、「次は勝ちます」とかなんとか言っていた(気がする)。

僕の番がきて、なんて言ったのか覚えてないけど、周りに気の使えてない事を言った覚えがある。それから、何度か今までの人生で、周りに求められているであろう感情ではないところに自分の心が置かれていることがあった。中学生の終わりには、そういった勝手に抱いてしまった周りへのズレに敏感になって、心が窮屈になった。自分は、なんて感情がないんだろうと思った。

そんな風に長らく思っていたのだけど、今日、なんだか、違う気がしてきた。おそらく小学校の頃の僕は、反抗的にその言葉を使ったのではない。その時、ぼく一人だけでも、ぼくに対しては真剣に向き合おうとした、その結果だったのだと今は思う。それは相手への尊敬だった、尊敬もあった。自分に「自分をなめるな、こんちくしょう」と言いたかったのだと思う。僕はきっと本気で、本当の態度をとったのだと思う。

2015.01.14