ふつうの人 なんでもない日
「ふつうの人」というのは、不思議な表現だ。みんなに当てはまるけど、なかなか100%ふつうの人なんて会ったことがないから。
大多数の人は、特別になりたいという願望を持つありふれた人。本当に変な人は、自分こそがふつうだと信じている。そんな気がする。
それらを考慮して「ふつうの人」とはなんでしょうか。主体の心のあり方でしょうか。周りからの色眼鏡を通した評価でしょうか。
似てる言葉で「なんでもない日」というのがある。ぼくは、この言葉が好きだ。この言葉を使うときは、ぼくは幸せな時を過ごしていることが多い。もっと言えば、幸せに気づいてる状態といえる。
日常の中にある、大小さまざまな幸せに気づくこと。ぼくにとっては、「なんでもない日常」というのは、そういった幸せに気づいている状態だということだ。
この写真は、ぼくのいう「なんでもない日」に撮った。吉祥寺にあるお気に入りの場所から。その日の中には、お気に入りの場所や、食べ物や、時間の使い方が溢れている。
毎日が「なんでもない日」だといえる。でも、そういった日というのは、とてもありがたい日なのだ。
だからぼくは、目一杯の感謝をする。祈りを捧げようと思う。明日も、なんでもない日でありますように、と。
2015.03.07